梨園の妻の大変さ

巳之助さんが誕生するまでの寿さんのプレッシャーたるや、それは大変なものがあったと思います。

あるとき、知人の結婚披露宴で寿さんと同じテーブルになりました。寿さんは当日舞台があった三津五郎さんに代わって参列していたのです。そのことだけでも「歌舞伎役者さんの奥様とは、なんて大変なのだろうか」と思ったものです。ご主人が歌舞伎座に出ているならば、披露宴会場に祝電やビデオメッセージなどを届けて、《欠席》しても良かったのではないかと……。

でも寿さんは和服姿で「坂東三津五郎」の札が並んだ席に着き、終始にこやかに対応されていたのです。ただ、一つ気になったことが……。それは多くの人がお代わりまでして食べていたメインのローストビーフに一切口をお付けにならなかったことです。思わず、「どうかなさいましたか?」と聞いてしまった私に対し、寿さんは「“男女産み分け法”を実践していて、医師からお肉は控えるように言われているのです」と話してくださいました。

後から知ったことですが、第三子の巳之助くんを身ごもったときは御自身も深刻な病を抱えていらして、巳之助くんのことは「命がけで産んだ」とも聞きました。 

だから私はその後のご夫妻の離婚が残念でなりません。また、巳之助くんが再婚した三津五郎さんに反発して、お稽古をお休みしていたということも聞きました。その原因の1つをつくった三津五郎さんの再婚相手を、どうしても許すことができないのです。 

何度も書いていますが、私自身が“サレ妻”を経験したことと、私が病的に人に感情移入する“エンパス”傾向があることも大きな理由なのだと思います。ですがその後、離婚することになり、一人で離婚発表会見をしたときには、「この人は歌舞伎役者の妻になるという覚悟がなかったのだろうか」と思ったものです。