江戸家猫八という名前で動物ものまねを始めたのは、私の曽祖父。明治の末頃ですから、今から120年ほど前になります。二代目は血縁のない初代のお弟子さんが継いでくださり、三代目・江戸家猫八となったのが私の祖父。読者の皆さんには、『お笑い三人組』や『鬼平犯科帳』でおなじみではないでしょうか。
子どもの頃に祖父の家へ遊びに行くと、いつも書き物をしていた姿が印象に残っています。挨拶をすると、老眼鏡越しの上目遣いで「よく来たね」と微笑んでくれるのですが、それっきり。気安く甘えられないような、独特の厳しさがありましたね。
でも家族みんなで食事に行ったりすると、店員さんがテーブルに料理を運んでくるたびに洒落を言って笑わせる、お茶目な祖父でした。
実の子とはいえ、弟子になった父(初代江戸家小猫、後の四代目)にも祖父はたいへん厳しかったようです。なんといっても座右の銘が「一事が万事」、そして「覆水盆に返らず」ですから(笑)。
ドラマの撮影現場で祖父が父に「台本くれ」と頼んだことがあったそうです。その時、父は台本ではなく老眼鏡をさっと渡した。先に台本を渡すとそれで手がふさがり、メガネが掛けにくい。そういう気働きを祖父はとても喜んだそうです。「親子じゃないと親父の気持ちを読むのは難しいだろうな」と後年、父が語っていたのを覚えています。
父は私に対して、「寄席演芸の世界は、必ず継がなきゃいけないもんじゃない。ほかにやりたい道が見つかったら、気にせずそちらへ行きなさい」といつも言っていました。でもやはり父の芸を見れば子ども心にすごいなあと憧れましたし、江戸家のお家芸であるウグイスの指笛をまねてみたりもしました。当然すぐに音は出ません。
そんな私を見ていたのか、父がある時、お風呂で私の小さな小指を咥えてウグイスを鳴いてくれたんです。小学1年生くらいでしたが、自分の指から音が出た!という感動と衝撃……。その後もやっては諦め、やっては諦め、その繰り返しがいつしか土台になっていきました。