入院する父の後ろ姿に涙が出そうになる

ケアマネージャーが、父は認知症で徘徊の可能性があることを病院に伝えた上で、栄養摂取をできるようになるレベルまで回復させる治療をしてくれる病院を探すと言って、父の家を後にした。

病院探しは何日かかるかわからないので、私は父がご飯を食べやすいように工夫を凝らした。例えば、牛丼を作る時は肉を細く切り、汁をたくさん入れて、スプーンを使って食べさせる。箸を使って食べるみそ汁はやめて、コーンスープを飲みやすいカップに入れて出す。

幼稚園児に作るようなメニューを出すと、少しは食べられることがわかってきた。栄養バランスより、とにかく食べてくれるものを食卓に上げた。一口大に切ったメロン、プリン、アイスクリーム。

毎日が、父との最後の晩餐になるかもしれないと、私は悲壮な気持ちでいた。父はどうにか歩けるが、体が右に曲がり、足の運びが不自然になっている。けれど、寄り添っていれば転ばないで前に進めるから、外食にも連れて行ってあげたかった。

「パパ、六花亭のピザが好きだよね。食べに行こうか」

父は張り切って、自分で着替えて私の車の助手席に乗った。小ぶりのピザの半枚も食べられないが、お店の人に声をかけられてニコニコしている父を見ていると、娘として幸せだった。

ケアマネージャーには毎日電話をして、病院探しの進捗状況を聞いていたが、彼女が苦労しているのが口調から伝わってきた。きっと毎日何軒も断られているのだろう。

ケアマネージャーが訪問してくれた日から4日後に、病院が決まりそうだと連絡があった。父が楽しみに通っていたデイサービスと、同じグループの療養型病院だという。

インターネットでその病院を調べると、デイサービスの建物と似た作りで、受付のソファなども似た感じだ。これなら、入院の際に父はデイサービスに来たと錯覚して病棟に入ってくれる可能性が高そうだ。

病院の重厚感ある受付ロビー

6月16日、父を助手席に乗せて私は病院に向かった。

車を降りた父を看護師さんが車椅子に乗せて、診察や検査のために先に病棟に入って行った。きょとんとした顔で車椅子に座る父を見て、私は介護を放棄したような申し訳なさに苛まれた。