紙オムツ着用で過ごした閉鎖病棟での日々
交代人格が救急車を呼び、私は閉鎖病棟に入院となった。当時、私は自分が解離性同一性障害を患っていることを知らなかった。ゆえに、自分の中にいる交代人格の存在などつゆ知らず、自分自身が救急車を呼んだものと思い込んでいた。だが、後年、このときの私を救ってくれたのは交代人格のひとりだったことを知った。
栄養不足や睡眠不足も相まって、入院初期の記憶は曖昧で断片的だ。点滴の内容物が薄いピンク色だったこと、ガサガサで肌当たりが悪い紙オムツを身に着けていたこと、「トイレに行きたい」と訴えたら、「そこでそのまましちゃって」と面倒くさそうに言われたこと。かろうじて覚えている記憶の断片は、今でもバラバラのままだ。欠けたパズルのピースを、今さら取り戻したいとも思わない。
意識がはっきりしてきたのは、おそらく入院して2週間が過ぎた頃だった。入院時の私の体重は、通常より15キロ以上落ちていた。カサカサに乾いた皮膚は粉を吹き、唇はひび割れ、尿でただれた臀部は耐えがたい痒みと痛みを伴った。ピンク色の点滴には強い抗うつ剤が入っており、錠剤を服用するよりも劇的に効くのだと看護師が言った。たしかに、死んだように眠り続けて目覚めたとき、私の脳内は思考の渦であふれていた。ただ息をしていただけの私が、もうこのまま死ぬんだろうと諦めていた私が、「さて、これからどうしよう」と未来を憂いていた。
だが同時に、強い副作用にも襲われた。誰しも同じ副作用が出るとは限らないが、私の場合は手足の震えが顕著だった。その度合は、指先の感覚が狂い、ノートに文字を書くことさえままならないほど酷いものだった。点滴治療が終わり、投薬治療に切り替わったあとも手の震えは続いた。その苦痛に耐えられず、私は途中から服薬をやめた。
閉鎖病棟では、毎回服薬後に看護師の前に患者が列を作る。口を大きく開き、確実に薬を飲み込んだことをチェックするためだ。飲んだフリをして薬を溜め込み、自殺やOD(薬の過剰摂取)を図る人が出ないように行われる日々のルーティン。患者の安全を守るために必要な医療行為だと、もちろん理解している。だが、その光景は私にとって“見慣れない”ものだった。口の中にあるものを飲み込むかどうか、本人に決める権利はない。そのことに、強い違和感を覚えた。
飲みたくない。
幼い反発心と副作用への苛立ちが重なった私は、舌の裏の奥に錠剤を押し込むようになった。服薬チェックが終わると同時にトイレに駆け込み、錠剤を下水に流す。舌の裏に残る苦味は、罪悪感の味がした。この方法は、看護師にバレなかった。そのことが、私にとって“いいこと”だったのかどうか、今でもわからない。