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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として”大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。その場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。父からの性虐待、母からの暴力…私の親も、まさにそれだった。 私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのが、「本」だった。 このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私=碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

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悪夢やフラッシュバックに苛まれる日々

両親の虐待から逃れ、安息の地を手に入れた。望まぬ手に体を弄られることも、気分次第で竹の定規を振り下ろされることもない。厳しく定められた門限や入浴時間に行動を制限されることもない。そういう自由を手に入れて、「私の人生はこれからはじまるんだ」と呑気に思っていた。だが、それは甘い幻想だった。虐待の恐ろしさは、被害の只中にあるときだけではなく、被害後も長年続く後遺症を患う点にある。後遺症を発症するタイミングは、虐待から解放された直後が多いと聞く。その時は、ふいに訪れた。

異変を感じたのは、仕事をはじめて数ヵ月が経過した頃だった。朝、起きるのが辛い。何もしたくない。その感覚は日増しに強まり、次第に食事や入浴は疎か、排泄さえも億劫に感じるようになっていった。何かがおかしい。そう思いながらも、怠さに押し潰されそうな体を引きずって仕事場へと向かった。

違和感を無視する癖が、骨の髄まで染み込んでいる。違和感を直視していたら、あの家では生きられなかった。だからいつも、取り返しがつかないところまで追い詰められた挙げ句、気が付けば電池残量がゼロになっている。

私の身に起きていた異変は、これだけにとどまらなかった。実家を離れ、両親の元を離れ、彼らの手が届かないところまで逃げおおせたというのに、“記憶”がいつまでもしつこく私を追い回した。夜、誰かの手が伸びてきて首を絞められる感覚に襲われる。ワンルームの部屋の玄関が、ふいに開くような気がする。父が私の真上で上下に動く映像が、目の前に浮かぶ。それはさながら、脳内で上映される映画のようなものだった。映画と違う点は、臭いや感触までもがハッキリと再現されることだ。いないはずの人間が、目の前に迫ってくる。逃げ出したはずの過去が、ぬるりとした手で足首を掴む。そのたび、私は文字通り発狂した。

「フラッシュバック」という言葉を、知識としては知っていた。だが、自分の身に起きている現象がそれだと思い至ることはなく、ずっと“これはなんなのだろう”と訝しんでいた。フラッシュバックの最中は、恐怖と戦慄しか感じない。だが、その嵐が過ぎ去ると、私はいつも茫然自失の状態でひたすら同じことを思っていた。

これは一体、なんなのだろう。