大事なことは舞台の空気で教えてくれた
ですから一所懸命に自分で考えたネタをやるのですが、そう簡単なことではありません。父との親子共演の時、たとえば私が考えたネタ運びを提案すると、父は二つ返事で「よし!やってみよう」と言います。
ウケないと、「わかるだろ」の一言だけ。ウケると、次の舞台でもこの運びを必ず取り入れてくれました。答えはお客さんが教えてくれる。父は自分の言葉ではなく、舞台の空気で大事なことを教えてくれたのです。
そうして亡くなるまでの約7年、父からは本当にたくさんのことを教わりました。私はお客さんのほうを向いているからわかりませんでしたが、「小猫さんと共演している時の猫八師匠は、本当に嬉しそうな顔をしてますよ」とよくお客さんに言われまして。私が自分ならではのネタを作れるようになってからは、ますますそんな声をいただく機会が増えましたね。
父が進行性の胃がんで亡くなったのは、66歳の時。亡くなる少し前、病室に私がいるのはわかったうえで、回診に来た主治医に「息子は仕事への向き合い方や、人として大切にしてほしいこと、自分が教えたかったことはちゃんと理解してくれているんですよ」と話したことがありました。直接言うのは照れ臭かったんでしょう。父らしいなと思いながら、その言葉を心の中で噛み締めました。
別の日には「猫八を継ぐタイミングはお前に任せる」とも言ってくれました。ですから私が継ぎたいと言えば、いつでも襲名はできたと思います。ただ66歳で亡くなった父が生前、母にだけ、「せめて10年は猫八でいたかった」と漏らしていたと聞いて、「父が70歳になる年」というのがずっと頭にありました。
その2020年という年に、芸術選奨文部科学大臣新人賞など大きな賞を立て続けにいただくことができたのも、縁だと思います。周囲の師匠方からも「そろそろ猫八を継いでもいいんじゃないか」という声が上がって、ありがたくも今回の襲名という運びになりました。
私の所属する落語協会では年に2回披露目の時期があるのですが、春の披露目の大初日は3月21日、父の命日。この日が私の猫八としての第一歩になるというのもまた、不思議な縁です。父から「今だぞ!」と、背中をどんと押されたような気持ちになりましたね。