もし2匹を喪ったら、自分はどうなってしまうのか
私はエッセイストとして女性誌で犬や猫の記事を書いたり、飼っている豆柴犬「センパイ」と猫「コウハイ」との暮らしをフォトエッセイとして発表したりしてきました。また保護猫だったコウハイを引き取った縁で、動物愛護を啓蒙する団体「FreePets」のメンバーとしても活動を続けています。
センパイは14歳、人間でいうと70歳のおばあちゃん。コウハイも8歳なので、50歳過ぎのオジサンと、2匹揃って高齢になりました。周囲では、愛犬・愛猫との別れを経験する人が増えていて、私も他人事ではありません。「もし2匹を喪ったら、自分はどうなってしまうのだろう」と考えるようになりました。「活発に遊ばなくなった」「寝てばかりいる」と気づいては、不安になったり泣きたくなったり……。
そんな自分を持て余していた私が1年ほど前から始めたのが、愛犬や愛猫を亡くした飼い主さんからお話を聞くことでした。生前はどんな生活をしていたのか、見送るまでの日々をどう過ごしたか、別れをどう受け入れたのか。20人の話をまとめたのが、本書です。
最後の会話を肉球で交わした猫や、息子と娘が帰省した翌日に逝った犬……彼ら彼女らとの思い出を語りながら涙する方も多かったですし、私という第三者と話すことで、「やっと気持ちの整理がつきました」という方もいて。愛するペットと別れるのはつらいものなのだと改めて実感しました。
ただ同時に私が思ったのは、そうした寂しさや悲しさは、楽しかったり、嬉しかったりした日々の先にあること。つぶらな瞳で見上げてきた仔犬や仔猫の頃のことや、愉快なエピソードが飼い主さんをどれだけ力づけてくれたかも書き留めようと心がけました。
動物を飼うことは、日々決断の連続です。特に犬猫が年老いてくると、「今ここで手術をするか否か」など、命にかかわる決断も迫られます。「あれで正しかったのか」と後々まで引きずる人も多いのですが、その時、飼い主が決断したことが正解。飼い方にしろ、看取り方にしろ、「答えは一つじゃない」ことも本書を通じて伝えたかったのです。
近年はSNSなどで、「この飼い方が正しい。それ以外は虐待だ」というような極端な言説が目立ちます。動物愛護の世界でも、「動物好きが動物嫌いを作る」といった言葉があり、たとえば犬猫の里親になりたいと志願しても、「飼い主にもしものことがあったら残されたペットはどうなるか」などの理由で断られて傷つく人がいます。命を預かるのですから重要ではありますが、あまりに潔癖な「これが正解」という押しつけは、人も動物も幸福にしないと思うのです。
取材中には、介護や看取りにあたって戸惑い、悩んだという声も多く聞きました。飼い犬を優先して家族に迷惑をかけたと悔やむ人、「高齢の自分が看取ることができるのか」と悩む80代の人もいましたね。ただ「長生きしてよかった」だけでは終わらないケースもある、ということも読んだ方に伝わればと思います。
私自身は、取材を通じて考え方の幅が広がったように感じています。やみくもに不安がるのではなく、2匹の足腰が弱ってきたら床に滑り止めを敷こうとか、口内環境に気をつけようとか。できることをやりつつ、一日一日を大事に重ねてゆく。そうして本書のタイトルのように、悲しくも明るい気持ちで2匹とお別れができたらと願っているのです。