史実とフィクションを分けて考える

前提として、ぼくは史実とフィクションをハッキリと分けて考えています。そして大河ドラマはフィクションです。

ですので、登場人物の行動をどう解釈するのも、脚本家や演出家の自由である。それなのに、史実をタテに批判するのはやはりヤボというもの。

ただし、研究者ならこういうふうに考えるんじゃないかな、という視点を紹介するのも、また有意義でしょう。それを以て、ドラマの理解をより面白くしたい、みなさんとドラマを楽しみたいと願っている。つまりはそういうことです。

歴史研究者として、ぼくが歴史事象なり人物の関わりを解釈するときのポリシーは、なるべく「シンプルに理解すること」でしょうか。変にいじくり回さない。難しく考えすぎない。

今回の数正の行動でいうと、これからは豊臣の天下だと推測しているところに、当の秀吉から「うちに来ないか」と誘われた。そりゃ行くさ、というものです。

無理に名づければ「秀吉のヘッドハンティング大成功」説ですかね。