南方熊楠が所有していた、日本初の彩色植物図鑑「本草図譜」(南方熊楠顕彰館所蔵)
植物学者の牧野富太郎をモデルにした、NHK朝ドラ『らんまん』もいよいよ終盤に。主人公の槙野万太郎は東大で研究ができない間も、全国の人との文通を通じて植物を採集していた様子がドラマでは描かれていました。牧野富太郎自身も、同世代を生きた学者・南方熊楠と交流をしていたという記録が残っています。同年代を生きた2人の共通点とは――

共通点の多い、南方熊楠と牧野富太郎

植物学や菌類、変形菌の研究者であり、民俗学や自然保護の分野において先駆者的な存在であった南方熊楠。そして、ほぼ同時期に活躍していたのが〝日本の植物学の父〟と称される牧野富太郎(1862ー1957年 高知県出身)だ。

「二人にはたくさんの共通点がありました。生家が酒蔵だったり、絵や語学に堪能だったり。最も重要な点は、二人とも実際に植物を収集し、数多くの植物の標本を残したことです」と話すのは、南方熊楠顕彰館・学術研究員の土永(どえい)知子さん。

「(二人の手紙を見ると)熊楠からは“牧野氏”、富太郎からは“南方君”宛てにやりとりをしている。植物に関しては教え請う立場として富太郎を尊敬している熊楠の心情が見て取れます」と語る土永さん

「彼らの残した標本が、日本の植物分類学の礎となったのは間違いありません」