亭主は丈夫で留守がいい

私の友人の夫はいわゆる外国人で、日本にある外国商社に勤めている。或る日その友人から電話がかかってくる。「ねぇ、来週あたり、あなたヒマない? 来週からジョンが出張なのよ」

この科白(せりふ)は日本人の妻なら皆一度ならず口にするものだ。

『今日も、私は生きている。: 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(著:曽野綾子/ポプラ社)

「亭主は丈夫で留守がいい」というあの思想に基づいたものである。

彼女のジョンが出張して翌日に私たちはもう会うことにする。好機、逸すべからず、である。

ジョンは辛抱強く優しく、私が、かつて自分が勤務したことのあるインドネシアの女性とよく似ているから懐かしい、と言って私に大変好意的だから、私も下手な英語で喋ることに臆面ないのだが、もしデリケートな神経の日本女性なら、ジョンの前で奥さんとだけぺちゃぺちゃ日本語で話したりすることは到底できないと思うから、自然付き合いが疎遠になってしまうかもしれないのである。

「今朝ねえ、ジョンのボスから、大きなバラの花束が届いたの」

おや、そのボスは彼女に気があるのかな、と私はびっくりする。それにしても悪いボスだ。夫を出張させておいて、その隙に美人の妻を狙うとは、日本の週刊誌に出て来る話みたいだ、と私はぼんやり考えている。しかしそういうニュアンスでもないらしい。

バラの花束は、あなたの夫を会社の都合で取り上げて、一人であなたに留守番させることになって申しわけなく思っています、ということなのだそうだ。彼女が夫の留守をこんなに喜んで羽を伸ばしているのも知らずに、である。