緑の公衆電話
やはり宝塚の教えは合理的で、無駄なことはありません。
そんな積み重ねで、十数年後、拡声器いらずの誰よりも大きな声で、
稽古場や楽屋でみんなに伝達や叱咤激励をするまでになるのですから。
今はあまり見なくなった緑の公衆電話にふと目が留まり、そんな時代を思い出しました。
先日懐かしい先輩にバッタリお会いしました。
咄嗟に、芸名ではなく、難しい本名の名前が漢字付きで出てきたのは、
あの頃の努力の賜物でしょうか?
すぐに下級生の顔になるのは、あの頃のままです。
やはり宝塚の教えは合理的で、無駄なことはありません。
そんな積み重ねで、十数年後、拡声器いらずの誰よりも大きな声で、
稽古場や楽屋でみんなに伝達や叱咤激励をするまでになるのですから。
今はあまり見なくなった緑の公衆電話にふと目が留まり、そんな時代を思い出しました。
先日懐かしい先輩にバッタリお会いしました。
咄嗟に、芸名ではなく、難しい本名の名前が漢字付きで出てきたのは、
あの頃の努力の賜物でしょうか?
すぐに下級生の顔になるのは、あの頃のままです。
新潟県生まれ。1993年第79期生として宝塚歌劇団に入団、月組に配属。2008年宝塚史上最年少で月組組長に就任し、月組生80名を牽引し数々の公演を成功に導く。13年に退団後は、スイス日本友好150周年記念行事公式開会式にて日本とスイスの国歌を独唱するなど、各方面で活躍。16年より新潟市西区のPR大使〈かがやき大使〉に就任。芸能生活25周年を機に、新潟の企業とコラボレーション商品を企画プロデュース。リサイタル「瀏覇」をGINZA SIX 観世能楽堂で上演。舞台「エリザベートTAKARAZUKA スペシャル・ガラ・コンサート」出演。ソロコンサート、ディナーショーをはじめ、ナレーター、 フォトグラファーなど、表現者として新たな活動の場を広げている。