経済生産性と相容れない老人の言葉

そして、自分が本当に手に負えないお婆さんになる頃には、イタリアに戻っていれば「老害」圧力をそれほど受けずに過ごせるかもしれません。

イタリアのように「年長者はどんなに扱いづらくても、長く生きてきた人間なんだから、敬うべき」という考えに優位性がもたらされる社会と、「老害」という言葉が蔓延(はびこ)る社会の根本的な違いは、老人と若者を“経済生産性”という天秤にかけているか否かという点にあるような気がしています。

『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(著:ヤマザキマリ/エクスナレッジ)

豊富な経験から生み出される言葉の重みや知恵といったものは、損得勘定や生産性といった考え方とは相容れないものどころか、真逆をいくものです。

歳を取るとだいたいの人は自分のことばかり話すようになり、若者たちはそれを嫌がる傾向にありますが、老年期に差し掛かれば皆、利他のために生きるのはやめ「自分とは何者だったか」と、自分のアイデンティティを象ろうとするようになるものです。