自然に老人を敬うイタリア
祖父得志郎においては、私が小さかった頃からすでに自分がアメリカで暮らしていた時の話ばかり繰り返し、同じ写真を何度も見せられ、亡くなるまで彼はアメリカの思い出話を語り続けていました。
母は祖父が遅い時期に生まれた子供だったこともあり、私の物心がついた頃得志郎はすでに80歳くらいでしたから、そもそもお爺さんというのはこういうものか、という認識でいたものでした。
イタリアがなぜ年寄りを敬うのか、という理由の一つには、実際私も経験をしてきたような、日常における老人との三世代同居が影響しているのかもしれません。
キリスト教的倫理が軸となっているイタリアでは高齢者施設が日本のように普及していませんから、三世代同居は珍しいことではありません。都市部は変化をしているようですが、それでも彼らにとって祖父母という老人の存在感は日本より遥かに大きいよう思います。
なので、子供の頃から老人というのは物忘れをしやすく、同じ話ばかり繰り返し、時には不条理な存在なんだということを知って育つと、老いに生じる不具合は「害」でも何でもなく、自然の現象なんだと思うようになるのかもしれません。