グローバルよりも身近な繋がりを

日本には「シニア割引」や「シニアデー」といったものがあり、老人を一括りにし、社会の一角にまとめて押し込もうとする傾向があります。その結果、老人たちは社会の枠からはみ出すことに躊躇(ちゅうちょ)し、若者たちと混じり合う機会が奪われていきます。

日本でも、例えば地方の港町の漁師のコミュニティなど知識と経験がモノを言う世界に行けば、年長者はむしろ敬われていると感じます。老いることは、屈辱的なことでもなければ恥ずかしいことでもないのですから、老人たちはもっと威張り腐って言いたいことを言えばいいのです。

かっこいい社会、スムーズに物事が運ぶ社会、足手まといのいない社会を理想としたくなるのは分かりますけど、社会、もとより人間というのはそう合理的にはできていないということを、もっと真正面から直視するべきなのです。人間というのはそもそも厄介な生き物だということを認識しておくべきなのです。

世界に目を向け、グローバルな視点を持つことの重要性ばかりが取り沙汰されていますが、もっと身近な環境や狭い世界の中でいかに年齢の異なる人々や苦手意識のある人々と付き合っていくか、まずはそこから始めるべきなのでは無いでしょうか。

都合の良い人間ばかりの社会を目指すばかりに、狭窄的で不寛容になってしまった社会が、世界とうまく繋がれるとは思いません。

※本稿は、『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

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CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(著:ヤマザキマリ/エクスナレッジ)

幼少期から老人と触れ合い、親の介護、そして死を経験し、多種多様な「老いと死」に触れてきた真の国際人・ヤマザキマリが豊かな知見と考察をもとに語った、明るくて楽しい、前向きな人として生き方。