女性であるという理由で門前払い

当時は、民主主義の夜明けの時代。私たちの女子校も、“女はかくあるべし”といったそれまでの良妻賢母の教育から解放され、上級生が討論会を開いたりしていました。

そんな先輩方に憧れた私は、新聞を熱心に読み、識者が談話する姿を見ては「将来、『識者は語る』でしゃべってみせる!」などと息巻いたものです。大学では新聞研究所に所属。自分で言うのもなんですが、これでもけっこう、活躍していたと思います。

それなのに、あぁ、それなのに。大学卒業後、女性であるという理由で、希望していた新聞社からは門前払い。本当に悔しい思いをしました。男女雇用機会均等法が施行されたのは86年。なんとマッカーサーの五大改革指令から、41年もたってからです。そして均等法後も、現実にはちっとも平等ではないのは、みなさんもご存じの通りです。

(イラスト=マツモトヨーコ)

マッカーサーは日本に「女性の解放」を要求しましたが、本家本元のアメリカでも、戦後まもなく揺り戻しがきました。というのも、兵士たちが太平洋戦線やヨーロッパ戦線から帰ってくると、「女よ、家庭に戻れ。職場は男に引き渡せ」という嵐が吹き荒れたのです。職の数は決まっています。その席を男たちに譲れ、というムーブメントです。

日本も戦時中は、「女は戦地に行けないのだから、工場で働け」と、学徒動員で勤労を強いられました。ところが戦後、女性は家庭に閉じ込められることに。男たちは高度経済成長を支える「企業戦士」として“戦場”に行かなくてはいけないので、女性は銃後の守りに徹せよ、ということでしょう。

私のまわりでも、大学卒業後に研究者や自分なりの仕事を目指した女性たちは、子育てで仕事を中断。その後ようやく再就職のスタートを切ったと思ったら、今度は舅姑の介護で離職するケースが後を絶ちませんでした。