(撮影:婦人公論.jp編集部)
NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんによる『婦人公論』の新連載「老いの実況中継」。91歳、徒然なるままに「今」を綴ります。第8回は、【戦後78年に思うこと】です──。 ※記事の内容は『婦人公論』9月号(8/12発売)執筆時のものです(イラスト=マツモトヨーコ)

15歳で出会った憲法の条文

今年も8月15日がやってきます。以前もふれましたが、私は中学時代、結核で1年と1学期休学。その間、終戦を挟んで、1947年に中学は旧制から新制に変わり、15歳のみぎり、新制中学校に通うことになりました。

45年10月、マッカーサーは日本政府に「五大改革指令」を要求します。五大改革とは、次の通りです。

(1)女性の解放 

(2)労働組合結成の促進

(3)自由主義教育の実施

(4)圧政的諸制度の撤廃

(5)経済の民主化

そして47年5月3日、日本国憲法が施行。私は旧姓が柴田なので「おシバ」と呼ばれていましたが、「おシバは何条が好き? やっぱり24条?」などと、クラスメイトとちょっぴりおませな会話を楽しんだものです。

ちなみに憲法24条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。今、LGBTや同性婚関連で「両性の合意」という部分が問題になっていますが、当時の私たちにとっては、そもそもこの条文がとても斬新でした。というのも、「うちの母なんて、父の顔を見たこともないのに嫁いだのよ」といった会話が普通にされていた時代だったからです。

私は友だちの問いかけに、「私は27条が好き」と答えました。憲法27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」。「すべて国民」と書かれており、「すべて男性の国民」とはひとことも言っていません。「男とも女とも書かれていないわ。バンザイ!」と思い、前途洋々たる気分でした。

当時私が通っていたのは女子校でしたが、女性の先生方は立派な“職業婦人”です。やっと民主主義の時代が来たという思いもあったのでしょう。「女の子でもみなさんは自分の個性を活かして生きなさいね」と、胸を張って私たちを励ましてくれました。私は「これからの時代は女性であっても、自分の能力に応じて職業につけるのね」と、未来が明るく開けた気がしたものです。