「孝行嫁さん顕彰」制定の時代を経て
78年、厚生白書は「同居は、福祉の含み財産」と提言。それより前、70年頃から、地方自治体では外郭団体などを通して介護家族表彰が広がりました。名称は「孝行嫁さん顕彰」「模範嫁表彰」などいろいろです。自治体によっては、「孝行嫁さん顕彰条例」を制定したところもありました。
高知県を例にあげると、顕彰の対象は5年以上、「寝たきり老人」の介護をしている嫁と孫嫁。そういう女性が模範的な嫁とされたのです。97~98年に「高齢社会をよくする女性の会」で調査したところ、その時点で全国の自治体の約1/3でこうした顕彰を行っていることがわかりました。
ずっと人の目から隠されていた介護に光が当たり、介護者である自分が表彰されることで、「義理の家族や親戚から感謝されてうれしい」とおっしゃる女性もいましたし、介護の苦労の一部を世間に知らしめる効果もあったでしょう。ただ、それはいままで無言で嫁たちが苦労してきた証拠でもあります。
国や自治体がこぞって、女性を家庭内での介護に縛り付けた結果、何が起きたのか。女性は就労の機会を奪われ、低年金を余儀なくされました。そして人生100年時代を迎えたいま、経済的に苦しい「貧乏ばあさん(=BB)」が大量に生まれたのです。
なぜマッカーサーはあのとき、「就労も男女平等にせよ」とつけ加えてくれなかったのか。もう一声ほしかったと、ちょっぴり恨みたい気分です。そうすれば日本社会も、もう少し違ったものになっていたかもしれません。