言葉は生きつづける
人生八十年、長くみて百年。自分自身も五十歳を過ぎたあたりから、残り時間が輪郭のあるものになった。たとえば二十歳なら、残りの六十年、八十年は未知の長さだ。有限であることは頭ではわかっていても、肌感覚ではピンとこない。けれど、五十年生きてきた者にとって、三十年や五十年は「知っている」長さである。
読書について言うと、同い年の歌人の穂村弘さんが「自分は、あの名作を読まずに死ぬのかもしれないと思うようになった」と言うのを聞いて深く頷いた。「若いときは、今はまだ読んでいないだけ」と思っていたと。
いつかまたいつかそのうち人生にいつか多くていつかは終わる
とはいえ、両親の年代とは違って「昨日今日とはおもはざりしを」であることもまた事実である。そんな自分に、しーんと透明な重さのかたまりを手渡してくれたのが山本文緒著『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』だ。
山本さんの訃報は『くもをさがす』にも出てくる。「10月18日 山本文緒さんが亡くなった。膵臓がんとのことだった。山本さんにはお会いしたことがない。お会いしたかった。新作を読みたかった。」とあり、すでに『無人島の…』を読んでいた自分は、長くそこで手をとめた。
山本さんは、私と同じ1962年生まれ。彼女が受けた突然の宣告は、抗がん剤治療をして効いたとしても予後は九か月、そうでなければ四か月というものだった。毎年きちんと人間ドッグを受け、煙草とお酒は十三年前にやめ、食生活も無茶なことはしていないというのに、である。
亡くなる九日前まで綴られた日記には、神様への悪態や、負け惜しみでなく幸せに思うことや、大切な人との別れや、その日に向けた準備などが、率直な筆で綴られている。ここにあるのは、突然の不幸に見舞われた人の記録ではなく、誰もが経験する死というものを誠実に受けとめた人の言葉だ。そしてその言葉が生き続けているということに、私は心から励まされる。
『くもをさがす』西加奈子 著 (河出書房新社)
コロナ禍の2021年に、滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された著者が発覚から治療を終えるまでを描いた、著者初のノンフィクション。闘病中に抱いた不安や恐怖、家族や友人たちへの思い、幸福を感じた瞬間や励ましになった文芸作品について綴る。
『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』山本文緒 著 (新潮社)
58歳のときに突然、膵臓がんと診断され余命数ヶ月を宣告された著者が、お別れの挨拶として書き続けた闘病記。突然大波にさらわれて、夫とふたり無人島に流されてしまったかのようなコロナ禍の自宅での闘病生活を、亡くなる数日前まで書き続けた最期の日記。