気づいたらなりたい自分になっていた
かつての私は、小学6年生のときに手にとった『地方記者 続』(朝日新聞社編)という本がきっかけで、将来は新聞記者になりたいと思っていました。そんな私ですが、違う夢を抱いていたときもありました。子どもの夢は結構くるくると変わるものなのです。
中学生になって「天文気象部」に入りました。たまたまその中学校は、毎日雨量を測り、それを東京管区気象台に報告するという役割を持った学校でした。今は「アメダス」で自動計測されていますが、当時は人が測って、東京管区気象台に報告をしていました。
そのため毎日、部員が交代で、学校の屋上に設置してある雨量計をチェックしに行っていました。夏休みなどの長期休みの期間も、交代で務めます。
私はそれが楽しくて、「将来、気象庁の予報官になりたい」と思うようになったのです。ちなみに当時はまだ「気象予報士」という資格はありませんでした。
気象予報士は規制緩和により、1993(平成5)年に気象業務法が改正されてできた資格です。それ以前は、気象庁の予報官のみが天気予報を出すことができました。
気象庁の予報官になるにはどうしたらいいかと調べたところ、「気象大学校」に入らなければいけないということがわかりました。
気象大学校は、防衛省の幹部になるための防衛大学校、海上保安官になるための海上保安大学校などと同じ「省庁大学校」のひとつです。
一般の「学校」は、学校教育法に規定され文部科学省が認可しているところを指しますが、省庁大学校は学校教育法以外に規定されている学校です。気象大学校は、現在「国土交通省組織令」に規定されています。
4年制の大学校へ入学すると、いきなり国家公務員の特別職や一般職の扱いとなり、給与やボーナスも支給されます。気象大学校は、とてつもない理系の学校で、物理と数学がよくできなければなりませんでした。気象は物理現象だからです。
高校1年生になった私は、いきなり数学に挫折をしました。なんとか頑張って勉強はしていたものの、「自分はとてもじゃないけれど理系には向いていない」と感じ、気象予報官は残念ながら、諦めることにしたわけです。