リクルート事件の発端

リクルート事件は、1988年6月18日の『朝日新聞』が報じた、神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモスの未公開株の譲渡を受け、1億円の利益を得たという事件が発端だった。

未公開株譲渡疑惑は、森喜朗、渡辺美智雄(当時政調会長)、加藤六月(前農水大臣)、加藤紘一(元防衛庁長官)へと広がっていく。

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リクルート事件の主役は、江副浩正と彼が経営していたリクルートである。当時のリクルートは、就職情報誌の発行元として知られ、CMでも名前をよく知る有名企業。江副も、そのワンマン経営者として名をはせていた。

その江副が政治家たちに金をばらまき、自らの事業の便宜を図らせた。シンプルな事件に見えるが、そこまで単純ではなかった。ばらまいたのが、金だったらシンプルな話だ。

株式だとしても同じだ。この事件では、未公開株を買う権利が政治家や官僚たちに配られた。

つまり、単なる投資の話でもある。株式が下がるリスクもあるし、あくまで自己資金での購入であり、株式を買うための資金もセットで融資された。それが賄賂に当たるのかは、グレーゾーンに置かれていた。

ただ当時は、未公開株は必ず儲かるものと思われていた。結果、86年10月に店頭公開されたリクルートコスモス株は値上がり、リクルートがばらまいた株は、利益を生んだ。これは結果論だ。