リクルート事件の決着

1988年8月からリクルート事件は、急な展開を見せる。

リクルートの子会社であるリクルートコスモスの松原社長室長が発端である。彼は「国会の爆弾男」の異名を持った衆議院議員の楢崎弥之助の事務所に口止め料の現金500万円を手渡しに行った。

現金がからまなければ、リクルート事件は不発に終わった可能性が極めて高い(写真提供:Photo AC)

この様子をテレビのカメラが撮っていた。楢崎弥之助は、これを事前に察知し、テレビの報道スタッフを事務所に入れていたのだ。このドッキリのような出来事が、事件の方向性を変えてしまう。

ジャーナリストの田原総一朗は、リクルート事件のルポルタージュ『正義の罠』のなかで、「特捜部は、現金がからんだ松原事件で、はじめて重い腰を上げることになったのである。現金がからまなければ、リクルート事件は不発に終わった可能性が極めて高い」と指摘する。

東京地検特捜部が動いたことで、事件は大規模贈収賄事件としての本格的な捜査に至る。口止め料の現金払いは、江副の部下の松原が独断で行ったものと思われる。江副の指示ではない。

松原社長室長はなぜこのようなことをしたのか。おそらくは、会社愛の強さゆえにこれを実行したのだ。リクルートの企業の強みは、社員の会社愛だった。それがマイナスに出ることもある。

江副の国会での証人喚問は88年の11月、翌年2月13日に江副逮捕に至った。1月に昭和天皇が崩御し、大喪の礼が2月24日に執り行われるという最中で、リクルート事件も決着を迎えていく。