「会見での母は別人のように明るく元気に振る舞っていたので、榊原郁恵さんってすごい!と感心してしまいました」(撮影:大河内 禎)
渡辺裕太さんが10月4日の『徹子の部屋』に登場。61歳の若さで亡くなった、父・渡辺徹さんとの思い出や母・榊原郁恵さんについて語ります。今回は父への思いや、家族のエピソードを裕太さんが語った『婦人公論』2023年7月号の記事を再配信します。

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2022年11月28日に敗血症で亡くなった渡辺徹さん(享年61)。俳優として活動するほか、テレビ番組の司会を務めるなどタレントとしても活躍。その親しみやすい人柄は多くの人に愛され、23年3月28日に行われた「お別れの会」には親交のあった大勢の著名人が献花に訪れました。愛妻家としても知られた渡辺徹さんは、どんな夫であり父親だったのでしょうか。亡くなって半年、妻で女優の榊原郁恵さんと、長男で俳優の渡辺裕太さんにそれぞれ話を聞きました。(構成:丸山あかね 撮影:大河内 禎)

死後に伝えてくれたメッセージ

考えてみると、父とあまり細かい言葉のやり取りをしていたわけではないんです。外ではよくしゃべる人で、まぁ家でもまったく寡黙ではなかったんですけど(笑)。親子で向き合うシリアスな場面では言葉数が激減して、俺の心を読み取れよ、みたいな感じでしたね。なのでいつしか、父が何を考えているのかわかる、という感覚が身についていました。

僕は父が死んだ翌日も仕事を続けたのですが、これも父なら「お前がそうしたいなら、仕事に行って来いよ」と言うだろうなと感じたから。その時点ではまだ仕事先には伝えていなかったので、いつも通りに過ごすことができて救われたというか、冷静でいられたのだと思います。

荼毘に付すまで、父は大好きだった自宅のシアタールームに安置されていたのですが、2人きりになった時間があったんです。遺影をみつめながら、何か言ってくれないかなぁと思っていたら、その時にも声がきこえてきました。

「こうなっちゃったからにはしょうがないから。悪いけど、あとのことは頼むわ。でも気負うことないからな」って。現実的じゃないよねって話なのですが、そこから僕が「前向きに進んでいこう」と気持ちを切り替えたことは確かです。

12月2日に家族葬を終えたあと、母と記者会見に臨みました。父が死んでから母はひどく落ち込んでいたし、葬儀では涙を流していたので、ここは自分が父から委ねられている場面なんだろうなと、会見で話すことを僕なりに考えていたのです。

ところが会見での母は別人のように明るく元気に振る舞っていたので、榊原郁恵さんってすごい!と感心してしまいました(笑)。芸能界でいろんな苦労を乗り越えて、母は明るさという名の強さを培ってきたんだなぁ、と。