父みたいになりたいけれど
亡くなる1ヵ月ほど前、浅草東洋館で行われた僕の出演する落語会を夫婦で観に来てくれました。高座から父が見えたのですが、すごく元気そうな姿が印象に残ってます。それが同じ空間で過ごした最後でした。
入院したと連絡を受けて心配していましたが、母から電話で「来たほうがいいかもしれない」と言われ、深刻さを理解しました。仕事の区切りがつき、亡くなる3日前に病院へ行けたのですが、顔色がかなり変わってしまっていて、もうこんな感じなんだとショックを受けて……。その晩、自分の部屋で「どうすればいいんだ」と思いながらオンオン泣いちゃいました。
今年の3月に出版された父の著書は、これまで父があちこちで行ってきた講演を文字に起こして収録したものなのですが、父の口調そのもので。綴られた家族に対する想いや死生観を読んでいたら、またもや号泣してしまいました。父と再会できたようで感動したのです。
不思議なもので、父のことって家族より周囲の方のほうが覚えているんですよ。つい先日も、25年間にわたり父についてくださったマネージャーさんから新ネタを仕入れました。
ある時その方が「〈肩書き〉というものに憧れる」と父に言ったら、父が「だったら俳優はベテラン大物俳優とか名乗るのか?俳優は俳優だろう。おかしなこと言うなよ」と、つまり肩書きなんてどうでもいいと諫められたというのです。それを聞いて、渡辺徹という人を凝縮したようなエピソードだと思いました。
父みたいな父親になりたいという夢もありますが、こればっかりはねぇ。父は「頼むから可愛い子を連れて来てくれよな」と言ってましたけど(笑)。天国の父に僕の声が届くなら、「仕事も結婚も気長に見守ってね」と伝えたいですね。