電話の偉大さを噛み締める
豊かになった日本で、自分のことだけを考えて好きなように生きたらいい。こんな日が来るとは、夢にも思っていませんでした。生きていてよかったと感じますが、それと同時に、戦争で亡くなった友のことを思い出すにつけ、悲しくなります。
「私たちの青春は灰色だったね。平和で自由に行動できる、今からが勝負。定年過ぎてからが青春だよ」、そんなふうに言い合ってそれぞれの趣味を楽しんでいた昭和一桁組の私たちも、70代を過ぎた頃から、みなそれぞれ故障が出てきて、思うように動けなくなりました。
元気なように見えても、どの人も何かしらの不調でお医者さんの世話になっています。私も遠出の団体旅行は難しくなり、近くの温泉に行くのがやっと。
80代に入っても、出歩ける間は、タクシーで仲間の家を行ったり来たりして会っていましたが、米寿になる頃からはそれも叶わなくなり、電話だけの交流になりました。
体が不自由でも、電話で話せるのは幸せなこと。戦中戦後を生きた、何もかもわかり合える友人同士のおしゃべりは、いつも私をすっきりした気分にしてくれます。
そんな電話友だちも、1人減り、2人減りで、今はたった3人に。電話を掛けると第一声が、「生きていたか」になりました。そうやって近況を確認できる電話というのは、ありがたくて便利だね、と日頃から言っていると、娘には笑われてしまいます。
令和2年、関西に住む孫に子が生まれました。新型コロナウイルスの感染拡大で里帰り出産ができず、かといって私が行くこともできません。
だけど、スマートフォンに送られる動画でひ孫の姿を見ることができます。便利な電話ができたものです。