写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第51回は「有害なポジティブさ」です。

前向きなストーリー

先日、文学紹介者の頭木弘樹さんの「『病気のおかげで』は本当? 『立ち直りの物語』を求める心理の正体」(朝日新聞デジタル)という記事が話題となった。頭木さんは20歳で難病の潰瘍性大腸炎を患った際、立ち直らないといけない、という圧力を感じたという。

頭木さんはこう指摘する。
“「色々つらいことがあったけど、結果良かったです」と言えば、話を聞いてもらえるし、受け入れてもらえるし、褒めてもらえる。「すごいつらいことがあって、いまもつらいです」と言うと、周りから誰もいなくなってしまう。”

病気や障害、貧困といった困難を経験した人たちは、そこから立ち上がり、さらに、そういった困難があったから成長できた、克服して強くなった、という前向きなストーリーを求められる。逆に言えば、そうやって美化されていない話を人は聞きたがらないし、受け入れられない。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

こういった風潮、圧力を、貧困の体験記を書いている私も強く感じることがある。世間にウケがいいのは、病気や障害があっても今が幸せ、というハートウォーミングなストーリーなのだ。嫌なことがあっても、酷いことがあっても、“捉え方”を変えて上手く昇華する。なんでもいい話に持っていく。そういう人は受け入れられやすい。

私自身、貧困の体験記を書くと、「辛い話で終わってないから読めた」「救いがあってよかった」という感想をもらうことがある。きっとそれは本心で、辛いだけの話は読んでいて苦しくなる、というのが多くの人の本音だと思う。人には“苦しいだけ”“恨みがましい”話を聞く耐性が備わっていないのだ。それは自然のことだとしても、過剰にポジティブさを求めるのは、よくない風潮だと感じる。