エネルギーはどこから

恋愛話ではなかったが、それに勝るとも劣らぬ濃い話を聞かせてもらった。

郁代さんの最後の落とし前をどう思われただろう。死期を悟っても、決して赦そうとしなかった決断に、様々な感覚を持たれた方がいるだろう。

世の中には「あの人より幸せだ」と思うことでしか自分の人生を肯定できない人間もいるのである(写真提供:Photo AC)

「昔のことなんだから水に流してあげればいいのに」

「世俗の感情など捨てて死を迎える方が本人も気が楽なのでは」

それは確かにもっともな意見だが、逆に、溜飲を下げた方もいるはずだ。

「なぜ、された方が黙って許さなくてはならないの」

「それが生きる励みになるなら容赦なく叩きのめせばいい」

そっち側に手を挙げる人もいるだろう。

私は、理想としては後者だけれど、きっと納得できないまま、黙って終わらせてしまうタイプのような気がする。とはいえ、その状況になってみないとわからない。私にも、私の知らない私がまだまだ埋もれているに違いない。そして、郁代さんの話を聞きながらも、実のところ、晴恵さんの言い分も聞いてみたかったというのがある。

30年もの間、家族と友人を裏切り続けて来たエネルギーは、どこから湧いて来たのだろう。ずっと心の中に抱えていた仄暗い何か。たとえば郁代さんに対する競争心や嫉妬心。相手が郁代さんの夫でなければ、関係は持たなかったのではないか、とも思える。

世の中には「あの人より幸せだ」と思うことでしか自分の人生を肯定できない人間もいるのである。晴恵さんもそんなひとりだったのかもしれない。

若い人からしたら、いい年をした大人が、と呆れるだろう。それも自分の親年代の恋愛がらみの揉め事など、聞きたくもないと感じる方も多いはずだ。けれど、いつか、その年齢になればわかる。

大人になっても、いやなったからこそ、人知れず、けれども確実に、恋愛はそこここで繰り広げられている。恋愛を前にすると、そこにいるのはただ心を拗らせた少女と少年でしかないのである。

わかって欲しいとは言わない。どうせ、いつか気づく時が来る。その時「これがそうか」と思い出してもらえると嬉しいが、もちろん忘れているだろうし、それでいい。そうやって私もこの年になってしまった。