血より家
ただし、日本史の特徴としては、「血より家」なのです。家が栄えれば、実子か否かにはこだわらない。養子だろうと、全く関係なし。
たとえば、平清盛には「白河上皇ご落胤説」があって、『平家物語』にも記されている。島津家、大友家の初代は、「源頼朝の子」という説があって、『尊卑分脈』に採り入れられている。
ですから秀頼が実際には誰の子でも、独裁者である秀吉が「この子はワシの子じゃ」といえば、豊臣家の後継者として通用するのです。そこは間違えてはいけない。とはいえ、秀頼の天下が盤石かというと、それはどうでしょうか。
秀吉は優秀で、ともかく見通しの確かな人物です(情報の少ない海外のことは見誤りましたが)。その彼が、自分の没した後も豊臣政権が安泰だと考えていたでしょうか?
朝鮮出兵の失敗で、豊臣政権への風当たりは強烈である。石田三成のような子飼いの勢力はようやく育ってきたが、十分とはいえない。
行政を任せられる人物がとくに少ない。政権のシンボルとしての秀頼はまだ小さく、カリスマ性も期待できそうにない。