秀吉は家康が天下を獲ることを阻めなかった
対して、このタイミングでの徳川家康は255万石、兵力はゆうに6万を超える。実力、人望(この時期までの家康は、信頼できる律儀者、で通っていました)も申し分ない。
ああ、これは家康が天下を望めば、阻むのは無理だな。ワシだって実力で織田の天下を奪っておるし、道義的にも家康が天下人になっても責めることはできんわ。
もし秀吉が頭脳明晰なままだったなら、こんなふうに考えていたでしょう。
ドラマで秀吉は家康へ「秀頼の身の立つようにしてやってくれ。天下はどうせおめえに獲られるだろうし、あとは任せた」と言っていました。
これ、史実に近かったのではないでしょうか。
なおこの時に、「秀頼は秀吉の実子にあらず」との視点がそれなりに流布していたとすると、それはどのように作用していたでしょうか? とりあえず、関ヶ原で家康とともに戦った豊臣大名たちに対しては少なからぬ影響を与えたでしょうね。
もちろん大名たちのホンネは、上げ潮の徳川殿に味方して、わが家をさらに繁栄させよう、でしょう。でも、その選択には、秀吉さまのご恩に背くことになる、という忸怩たる思いがつきまとうわけです。
ここで「そうは言ってもなあ、秀賴ぎみは秀吉さまのお子ではないだろうしなあ」、という「内なる声」は、「徳川殿に味方しよう」という自身の行動を、是認する原動力になったかもしれません。
さあ、次回から家康が天下に向けて動き出すようです。いよいよドラマもクライマックスですね。
『「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。