名護屋城跡付近上空。佐賀県唐津市(写真提供:Photo AC)

松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第38回「唐入り」で、次の狙いを朝鮮に定めた秀吉は、諸大名を肥前名護屋城に集めて出兵を命じる。朝鮮から連戦連勝という知らせが届いてご満悦の秀吉だが、苦戦を強いられているという情報を家康が掴み――といった話が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。今回は「研究はどこで進むのか」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

佐賀県立名護屋城博物館を訪れて

前回の『どうする家康』では「唐入り」と呼ばれた、豊臣秀吉による朝鮮出兵が描かれました。

1度目の文禄の役(1592〜1593年)では約16万人、2度目の慶長の役(1597〜1598年)では約14万人の兵が動員されたと言われる大規模なもので、いずれも佐賀県唐津市にあった名護屋城が重要な役割を果たしています。

一方、ぼくはちょうど先週の土曜日・日曜日に、佐賀県立名護屋城博物館(佐賀県唐津市)を訪問していました。

そこでは朝鮮出兵の展示を拝見し、子どもたちと「黄金の茶室」や同館所蔵の古文書を用いたワークショップを実施しながら、朝鮮出兵についての講演をしてきた次第です。

なお、今回の展示は若手の学芸員である、都留慎司さんの渾身の企画でした。彼は30代半ばで、講演の司会の方からは「ぼくと都留さんは兄弟のよう」とのお言葉を戴きました。そんなに似てるかな…と確認してみると、うん、とりあえず体型はそっくりかも。(笑)

企画名は題して「新時代へのかけはし -文禄・慶長の役から国交回復へ-」。見応え十分で、実に多くのことを教えられました。やはり現場の努力はすごい。