誰の子だと思います?

その彼が「そうそう、iPodといえば」と話の向きを変えた。「ご存じですか? あのG校(数百メートル離れたところにある姉妹校)に通ってた生徒が、誕生パーティーで友だち全員にiPodを配ったという話」とサムが顔を近づけて言った。

「持つべきものは友だちですね。親じゃない」などと、僕は軽口を叩いていたが、物品をばらまくとはアン・ブリティッシュなふるまいだし、はしたないと考えていた。それも、こともあろうに最新のiPodだ。

『異邦人のロンドン』(著:園部哲/集英社インターナショナル)

「誰の子だと思います?」

「さぞかし金持ちなんでしょうね」

「アブラモヴィッチです」

と言って、サムはそれまで近づけていた顔をゆっくりと引いた。点睛(てんせい)を打ち終えたあとの悠揚(ゆうよう)迫らぬ姿勢である。

「あのロシア人? あのチェルシー(サッカークラブ)を買収した?」と、今度はこちらが前のめりになる番だった。サムは頷いた。

「ロシア人に買収されて、チェルシーはチェルスキーになりましたがね」

ロマン・アブラモヴィッチは2003年にチェルシーFCを買収して、一躍英国の有名人になった。そして翌年のサンデー・タイムズ紙によるイギリスの長者番付で1位になった。

英国が度肝を抜かれた。石油で財を成したスーパーリッチの名前が「油もビッチ」というのは覚えやすい。彼の登場はロンドンの風景が変貌しはじめる時期と軌を一にしていた。風景とは町の装い、目に付くのは不動産と自動車である。

2000年以前の目立った高層建築というと、1980年、シティのど真ん中にできた「ナットウェスト・タワー」という183メートルの建物(現在の「タワー42」)だけだった。

その後10年にもわたってこれが英国一の高層建築でありつづけたのだから、当時当地の保守性がよくわかる。さらに、これを超えるビルの建設はその後10年に1本、というのろのろペースだった。

しかし2000年代に入るとシティは高層建築ラッシュに見舞われ、変なビルがにょきにょき建つようになる。キュウリみたいなのとか、チーズおろし器みたいなのが。

当時のチャールズ皇太子が「できものが吹き出したようだ」と酷評したのも頷ける。彼には日本語の「出物(でもの)腫れ物所嫌わず」という表現をお教えしたい。