関東大震災の影響
服部少年が「出雲屋音楽隊」に入った日、1923年9月1日。関東一円を未曾有の大震災が襲った。
この時、亀井静子は9歳、志津子から静子に改名したのもこの頃である。またこの年、1923年には大阪道頓堀に、日本初の鉄骨・鉄筋コンクリート建築による映画館、大阪初の洋式劇場・大阪松竹座がオープンした。
テラコッタが特徴的なネオルネサンス様式の正面玄関のデザインは、モダン大阪の象徴となり、映画上映だけでなく、幕間には松竹楽劇部によるステージが繰り広げられた。
これはすでに成功を収めていた宝塚歌劇団から振付師や作曲家を招聘して、宝塚少女歌劇に対抗しようというものであった。
関東大震災直後、被災して焼け野原となった東京や横浜に見切りをつけた財界人、文化人、芸術家たちが関西へやってきた。大阪に人と富と文化が集まってきたのである。
さらに仕事の場を失った東京のバンドマンたちを救済する意味もあって、道頓堀界隈の食堂、カフェーがバンド演奏を取り入れ、ダンスホールも急激に増えた。