のちの音楽のパートナー、服部良一

のちに、笠置シヅ子の音楽のパートナーとなる作曲家・服部良一(07〜93)も、大阪・天王寺に生まれ、幼い頃から、音楽が好きで作曲家を目指していた。

やはり芸事好きの家庭に育ったが、上の学校に進めるほどの経済的余裕がなく、姉の勧めで好きな音楽を演奏して給金がもらえる、千日前の「出雲屋少年音楽隊」に入隊したのが、1923(大正12)年のこと。

『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

出雲屋は、大阪でたくさんの店舗を持っていたうなぎ屋のチェーン店。そこの若旦那が、新しもの好きで、音楽隊を結成して、話題作りをしていた。

巷にはジャズソングが流れ、バンドが最新の舶来音楽を演奏する。その活況を、のちに服部良一は「道頓堀ジャズ」と名付けた。