『むすび・言葉について 30章』著◎中村 稔

 

隣でふんふんと話を聴くような92歳詩人の最新作

長年、詩の言葉と格闘してきた人は、どんな境地に達するのだろう。高齢の詩人の新詩集は見逃せない。

中村稔は1927年生まれで、処女詩集出版から70年近くが経つ。この詩集は、近年の『言葉について』と、その増補版である『新輯・言葉について50章』につづくもの。14行詩の形式で書かれた作品集だが、率直で平易な言葉が選ばれているので、隣にいてふんふんと話を聴いているような気分で読める。

ある詩では、日本語は名詞の複数形をもたないためにかえって数についての繊細な表現を獲得していることを述べる。またある詩では、愛するヤブツバキの老樹が伐採されたことを語り、人の意識が樹木と同化することを〈言葉のはたらき〉と言う。このように、言葉の役割や作用を、個人の意識の中や人間関係の中でていねいにとらえていく詩集だ。

架空のキャラクターのような〈言葉〉が量販店の店先に立ち、パソコンなど英語でも日本語でもない単語や、アプリとかクラウドなど耳慣れない用語が横行する現在を大袈裟に嘆くが、著者は〈私たちはそんな用語は使いこなしているよ〉と軽く受け流す。そうかと思うと、「不動産ブームが去って不景気になった。なので、あの会社は人員整理にふみきった」というような言い方については、必然的な帰結でもないことに気軽に使う「なので」を、日本語の乱れだと嫌悪している。

本書を読んだ直後に古書店で、同じ著者の『私の感傷旅行』という詩的紀行文集(1976)を偶然見つけ、購入。複雑でいろどり豊かな思索が、溢れるように記されている。この豊かさが時を経て、いまのシンプルな言葉に結晶したのだ。

 

『むすび・言葉について 30章』
著◎中村 稔
青土社 1800円