歌人同士の対話がよい手引きになる
入門、というからには短歌の鑑賞法や作り方、歴史などがわかりやすく書いてあると思うだろう。短歌に限らず、私があらゆる入門本に不満を抱くのは、そうした「概要」的なものから入って「形」を教えていく、という手法にある。この手法は作成の方法や読み方の手順の説明を示せても、説明する対象(ここでは短歌)自体の魅力はほとんど示さない。
しかし、この本はどうだろう。ひたすら二人で短歌のあれが良い、これをどう考えるか、どうやって歌人になったのか、短歌を引用して語りつくすのだ。短歌の世界でトップランナーである平岡氏が、入門本の話を受けて数年。思いついたのがこの「対談」する入門本だ。そしてその相手は、短歌の世界をちょっと変わったところから捉えている歌人、我妻氏でなければならなかった。
だって「入門」と言っているのにこの本てば、「歌人って大きく分けて多作タイプの人と寡作タイプの人がいると思うんだけど。平岡さんはどっちに当てはまりますか?」「わたしはどちらかというと寡作タイプ」って会話からスタートするんですよ、いきなり。けれど、その世界ではどういうことが問題意識として共有され、なにが良しとされているのか、二人の会話を読み進めるとよくわかるようになっている。この手法には舌を巻いた。
つまり、プロの「熱量」がしっかりと伝わるのだ。この本が主眼としているのは、価値観をいくつか提示しつつも正解をひとつにしない、短歌そのものの魅力の伝達である。鑑賞とは脳内の議論でもあるということだ。
入門本は語り手の価値観を(ときにほかの価値観に配慮しながらも)示すのが常套手段であるが、その手法が選択されるのはそれが「簡単」だからだ。しかしこの本は短歌の奥深さの魅力を伝えるためにその手法を選択していない。