教室の近くに花屋さんがあるのに気がついた私は、ダメもとで頼んでみた…(写真はイメージ。写真提供:photoAC)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは神奈川県の60代の方からのお便り。30年以上前、結婚記念日に贈ってくれた真紅のバラが忘れられず、ダメもとで夫に頼んでみたところ――。

言ってみるもの

「これが欲しい」と夫にはっきり言うのは、案外難しい。しかしある日私は、言ってみた。駄々をこねてみたのである。

話は30年以上前にさかのぼる。子育てで精一杯の日々、毎晩飲んで帰る夫が、その晩、リボンのついた一本の真紅のバラを手に帰宅し、私に渡してくれたのだ。「電車の中で持っているの、恥ずかしかったよぉ」と言いながら。思いもよらないプレゼントに嬉しくて感激した。

聞けば、私たちの結婚記念日を知る友人が、花を贈ることを彼に勧めたようだ。花瓶に生けて毎日眺め、やがてドライフラワーにし、最後は花びらを透明なケースに入れて長く大切にした。

ところがそれ以来、プレゼントの類はまったくない。数年前に定年退職した夫は、月2回のカルチャースクールに通い始めた。その教室の近くに花屋さんがあるのに気がついた私は、ダメもとで頼んでみたのだ。

「花屋さんがあるから、帰りにバラを一本買ってきてほしいの。お願いね。忘れないで。絶対よ!」。年甲斐もなく、幼児が物をねだるように頼んでしまった。

さて、その日の夕方。果たして夫は一本の紅いバラを手に帰宅した!「はい、これ」と渡してくれる。やっぱり嬉しい。矯めつ眇めつしてバラを愛でる。

本当はやさしいのかも、言ってみるものね、などと一人でぶつぶつ喜びながら。

驚いたのはその翌日だ。なんと、頼んでないのに花束を持って帰ってきたのだ。え? まさか! なんで。嬉しくてびっくりして、胸が一杯に。そしてその後、毎月花束を買ってきてくれるようになった。

日頃はテレビに向かって口汚くかみつく、昭和の亭主関白で、「ありがとう」が素直に言えない夫。その彼の、何千回のありがとうが、花束にあふれているような気がした。


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