フリーランサーの藤堂真紀子さん
老後の家を考えた時、実家に住んでいれば安心と考えがちです。兄弟姉妹がいても、戦後の民法では、きょうだい間では対等に遺産を相続します。家をもらうか、またはお金にして分け前をもらうか、いずれにせよ、老後に住む家は確保できそうです。
ところが、いまだ地域によっては、長男相続が当たり前。世代的にも、いまアラ還の女性たちの親世代は、戦前生まれ。相続では息子に多くを遺す親も少なくありません。そのくせ、親の面倒を見る役割は、娘が期待されるのです。首都圏郊外に住むフリーランサーの藤堂真紀子さん(仮名、58歳)はそんな一人です。実家で母(91)と姉(61)と同居し、彼女たちの面倒を見る日々。まるでシンデレラです。そのうえ、老後の家として実家を相続できたとしても、自分の年金では固定資産税が払えないのではと、危惧しています。
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真紀子さんが独り暮らしを畳んで、郊外の実家に戻ってきたのは2009年、43歳の時でした。直接の契機は父の病気です。肺がんで、2年ほど闘病を続けていました。いよいよ余命が長くないと悟った父から、「帰ってこいよ」と言われて決意。「父といられるのも残り少ないと思ったんです」
実はその前年、真紀子さんは10年以上務めていたイベント会社を退社していました。管理職として、あまりに多忙で、不眠症に。このままでは心身ともに壊れてしまうと思ったのです。ただ、退職後もフリーランサーとして、元の会社から業務委託で仕事を請け負っていました。とはいえ社員に比べれば給料も少なく、家賃が負担になっていました。
真紀子さんは英語遣いです。20代で4年ほど、英語圏の国で働いていたこともあります。もちろん当地では独り暮らし。帰国後、いったん実家に戻りましたが、30代後半から横浜市内で再び独り暮らしを始めました。駅徒歩5分、オートロック、バストイレ別、33平米のワンルームで家賃は8万円。条件的にも良い物件でしたが、収入減と父のことが重なって、引き払いました。
「でも、またすぐに独り暮らしをするつもりだったんです。なので、独り暮らしの時に使っていた家財道具や引っ越し荷物は、段ボールに入れたまま。実家の物置部屋に置きっぱなしで、荷ほどきもしていません。フリーの生活が軌道に乗ったら、出て行くつもりだったんですけどね……」。真紀子さんにとって実家は、あくまでも「お父さんとお母さんの家」であって、自分の家ではないからです。結果的に今まで実家暮らしですが、自分の家という感覚には、いまだなれないそうです。