プライドの高い父の姿が戻ってきた
2023年の秋、私は父に有料老人ホームに入居してもらうことを心に決めて、父が入院している病院に向かった。車で40分位の距離を何度も通ったのに、面会や洗濯物の受け取りに行っていた時の気分とは違う。心臓がドキドキして、ハンドルを握る手に力が入る。
60年以上住み続けた家を離れる決意が父にできるだろうか? 重い病気を抱えているのではないけれど、父の体力が落ちてきているのは、95歳という年齢を考えれば当然のことだ。しかし父がそれを認めたくないのは日頃の態度でわかっていた。
父は自身がイメージする「格好いい男性」であるために、自分の足で歩けるのが必須条件だと思っている。今は「要介護2」なのだが、自分のプライドを守るため、入院している間に歩行訓練を頑張った。その甲斐あって車椅子を卒業し、杖を突いて歩けるようになったのは立派だと思う。
でも、自分の能力を父が過信しているからこそ、医師は「24時間見守りが必要です」と言ったのだろう。仕事で私が父のそばにいない時に転倒するかもしれないと思うと、ケアサービス付きの施設に入るのが一番安心だ、と父に言わなければならない日が、いよいよやってきたのだ。
病院に着くと受付で面会の手続きをして、父のいるフロアにエレベーターで上がった。ラウンジで待っていると、看護師さんに付き添われた父が、ゆっくりだがしっかりとした足取りでやってきた。杖は突いていない。
ラウンジにあるテーブルに向かい合って座り、頼まれていたチョコレートの箱を開けて勧めると、父は立ち上がって言った。
「手を洗ってくる」
ラウンジに備え付けの洗面台に行き、手を洗ってペーパータオルで拭いてから戻ってきた父を私は褒めた。
「パパ、杖を突かないで歩けるようになったんだね。ちゃんと手も洗うし、偉いね」
父は途端に不機嫌な表情を浮かべて言った。
「あぁ、俺は、足は丈夫だ。それに、何か食べる前に手を洗うのは常識だ。子ども扱いするな」
反抗期の少年のような態度をとるのは、認知症になる前の父の常だったから、腹は立たない。むしろ私は、父らしさが戻ってきたことをうれしく思った。