「大人の女には、道をはずれる自由も、堕落する自由もある」――。そう語るのは、甲南女子大学教授で社会学者の米澤泉さんです。米澤さんは、型破りのアイドル・小泉今日子さんと、少女マンガを超えたマンガ家・岡崎京子さんの生き方に注目。<二人のキョウコ>について「20世紀末に岡崎が種を蒔き、21世紀に小泉が『別の女の生き方』を開花させたのではないか」と考えています。そこで今回は、米澤さんの著書『小泉今日子と岡崎京子』から一部引用、再編集して「小泉今日子さんの的確な能力」についてお届けします。
花の82年組
小泉今日子は、「花の82年組」の一人である。中森明菜を筆頭に、早見優、石川秀美、松本伊代、堀ちえみと人気アイドルを多数輩出した1982年にデビューした。
とはいえ、小泉今日子は当初からその中で際立っていたわけではない。抜群の歌唱力とアンニュイな雰囲気で抜きん出ていた中森明菜をはじめ、バイリンガルな帰国子女の早見優、健康的な「秀樹の妹」石川秀美、「田原俊彦の妹」松本伊代と、同期には実力や話題性を兼ね備えたライバルがひしめいていた。
デビュー当時の小泉今日子は可もなく不可もない、これといって特徴のない「正統派アイドル」という位置づけだった。
確かにデビュー曲の「私の16才」は、森まどかというアイドルが1979年にリリースした「ねえ・ねえ・ねえ」のカバー曲であったし、髪型も、当時のアイドルが雛形としていた「聖子ちゃんカット」を踏襲していた。
つまり、「微笑少女(びしょうじょ)。君の笑顔が好きだ」というデビュー時のキャッチフレーズ通りに、笑顔がかわいい「理想の彼女」としてお約束のアイドルを演じることが求められていたのだ。
16歳の小泉今日子は、いきなりそれに反発することもなく、しばらくは様子を見るかのように「正統派アイドル」の枠内に留まっていた。「素敵なラブリーボーイ」「ひとり街角」「春風の誘惑」と立て続けに新曲をリリースし、ほどほどの人気を得ながらも、今ひとつ自分らしさを表現できずにいたようだ。