ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は9月号に掲載された「強さへの執着」。東京都知事選前、また、バイデン氏が米国大統領選の候補者として討論会などに出演していた頃、スーさんが抱いた「強さ」への思いとは――
日本、アメリカの選挙をみて
この号が発売される頃には決着がついている、東京都知事選。ポスターが貼られた公営掲示板の横を通るたび、都民として屈辱を覚えた。こうも雑然とすると、獣聚鳥散(じゅうしゅうちょうさん)に見えてしまう。2人の女性有力候補がいたので、「女性ならではのしなやかさ」とか、「女性独自の感性」といった論点で語られないことだけが救いだ。女に務まるのかという馬鹿げた声も、以前より小さくなったように思う。
鬱々とした気分を引きずりながら、米国大統領選討論会(日本時間の6月28日午前開催)を観た。討論会が開かれるだけマシだが、こっちはこっちで大変なことになっている。候補者はどちらも高齢。バイデン氏81歳、トランプ氏78歳。内容は報じられたとおりで、実のあるものとは言い難かった。最後は互いのゴルフの腕前を競い合う始末で、どちらのおじいちゃんのほうが元気か合戦の様相を呈した。
まあ、こうなるよな。私の父は86歳だ。精彩を欠くと評されたバイデンの弱々しい声にも、若々しさと誤って捉えられがちなトランプの子どもっぽさのどちらにも、父の姿を見た。年を取れば、多かれ少なかれ誰もがこうなる。
直後のファクトチェックによると、バイデン氏の間違いは9個、トランプ氏のそれは35個。私の印象では、バイデン氏のは言い間違いや記憶違いで、トランプ氏のはそれらに加えいい加減な発言が要因だった。90分の討論会で9個しか間違いを犯さなかった81歳に、私は尊敬の念すら覚えた。