「ものを買う際には〈これは本当に必要で、僕を幸せにしてくれるか?〉と考えてから、お財布を開いているのです」(撮影:藤澤靖子)
1993年に来日し、お笑いコンビ「パックンマックン」を結成してデビューしたパックンさん。母と二人暮らしだった少年時代は、日々満足にご飯を食べられないほどお金に苦労したそう。その経験から、今も無駄遣いをしない生活が当たり前だと語ります(構成:上田恵子 撮影:藤澤靖子)

前編よりつづく

友達の家族にも助けられて

年齢が上がってからは、ほかにもさまざまなアルバイトを始めました。工場や工事現場での力仕事から、夏は芝刈り、冬は雪かきまで。大変だったけれど、「母の役に立っている」「自分の力でお金を稼いでいる」という達成感と充実感が、僕を支えてくれました。

周囲の人たちが僕に注いでくれた愛情も忘れられません。たとえば友人のジェイソン家。近所に住んでいた3人家族なのですが、いつ僕が遊びに来てもいいように、常に4人分のご飯を用意してくれていたのです。

ジェイソンがいなくても上がり込んでいたのですから、まるでもう一人の息子みたい(笑)。今でも僕が帰ると、ジェイソンママがクッキーを焼いてくれます。

ほかにも、「勝手に入って、あるものを好きに食べていいよ」と、オートロックの暗証番号まで教えてくれた友達のママや、パソコンを使わせてくれた家。大学の願書もそのパソコンで提出しました。

経済的に大変だった日々は、僕が高校3年生の時に一段落。母が大学院で教育の修士号を取り、小学校の先生になったのです。そこからは安定した収入のある生活が送れるようになりました。小さい頃から働き詰めだった経験が、僕に大学卒業後の「冒険」を選ばせたのかもしれません。

母は今でも、「ちゃんとした生活をさせてあげられなくてごめんね」と謝ってくるんです。そのたびに僕は、「いやいや、結果を見てください。僕は今、やりたいことを全部やれている。僕は今の僕が一番好きだし、ママは世界一のママだよ」と言っています。

母は一人一食100円ほどしかかけられなかった生活のなかでも、上手にやりくりして栄養を考えた食事を用意してくれました。僕が今、身長が184cmもあって健康な体でいられるのは、間違いなくそのおかげです!