”怒り”と”叱り”の違いに想いを巡らせたというマリさん。人材不足の今「言いたいことがあっても我慢をしている」というベテランタクシードライバーの話を聞いて考えたのは――(文・写真=ヤマザキマリ)

怒りと叱り

空き地で子どもらが野球をしていると、あらぬ方向に飛んでいったボールがご近所の家の窓ガラスを割り、子どもらがその家の主の頑固ジイサンに叱りつけられる、というのは昭和の漫画やアニメでよく見られるシーンだ。私たちの世代にとって、家族や教師だけでなく、他人に叱られるのはわりと当たり前のことだった。

ちなみに“叱り”は、情動に駆られる“怒り”とは質が違う。どちらも声をあげてしまいがちになる行為だが、実際には似て非なるものなのである。

“叱り”は、我々が生きている社会にどのようなルールがあり、良い社会や善い人間関係を築くにはどんなことに気をつけて、何を守らねばならないのか、といったことを教える躾の意味を持つ。一方、個人的な感情を噴出させるのが“怒り”である。

とはいっても、子どもは親から「どうして言われたとおりにできないの!」などと指摘されたところで、それが個人的なストレス発散を兼ねた“怒り”なのか、躾としての“叱り”なのかは判別できない。

子どもを虐待する親の多くが躾のためだと捉えているそうだが、その線引きは声をあげてしまう側にとっても難しい。