MARUU=イラスト
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。地下鉄の階段を上がるとき、ひと休みしないと地上まで到達できないことがあるそうで――。
※本記事は『婦人公論』2025年4月号に掲載されたものです

地下鉄の階段を上がるとき、途中でひと休みしないと地上まで到達しないことがときどきある。膝が痛いわけではない。心臓が苦しいわけでもない。ただ息が切れ、腿のあたりが張ってくる。

手すりにつかまってしばし立ち止まり、腿をもみもみ息を整える。横を若い人たちが次々に抜いていく。その後ろ姿を見送りながら思う。昔は抜いていく立場だったのになあ。

だいぶ昔、地下鉄の下り階段で、荷物を抱えたおばあちゃんが恐る恐る下りていく姿を見かけた。やや急いでいたので横をさっさか通り過ぎたが、その直後、やっぱりお助けしなければいけない気持になり、きびすを返して声をかけた。

「大丈夫ですか? お荷物、お持ちしましょうか」

するとおばあちゃんは下を向いたまま、

「大丈夫です」

きっぱりおっしゃった。でも私は食い下がった。手から荷物を引きはがし、もう片方の手でおばあちゃんの手を持って、一段一段をゆっくり進んだ。が、心の奥底に、「私はやや急いでいる」という意識があった。そのため、おばあちゃんを心なしか引っ張っていたかもしれない。ようやく平たいところに到達し、「どうぞお気をつけて」と手を離して別れたが、今、思い返すだにあれは余計なお節介であった。

きっとおばあちゃんは、自分のペースで階段を下りたかっただろう。時間はかかるがそれがいちばん安全だ。それなのに、私が無理やりそのリズムを壊したのである。親切はときに迷惑をもたらすことを知る。