日本語を背負った詩
平田俊子が現代詩に興味を抱いた10代の終わりごろ、富岡多惠子はもう小説を書いていた。それもあってか、平田が憧れた女性詩人はまずは白石かずこだった。
「大きな風が吹いているような作風に圧倒されました。ビリー・ホリデイになり代わって書いた『ハドソン川のそば』などスケールが大きくて、どうしたらこんな詩が書けるんだろうと不思議でした。白石さんの詩は宇宙に言葉を放つようだったし、異国の風景も見せてくれた。富岡さんの詩は日本や日本人的なものを背負っていた。私は田舎で育ったせいか、白石さんの詩の都会的な雰囲気に惹かれました」
平田のもとに筑摩書房の編集者を通して富岡から全集の月報を書いてほしいと依頼があったのは、懇意にしていた詩友・伊藤比呂美に誘われたアイルランド旅行から7年ほどがたったころだった。意外だったがおそるおそる引き受けた。富岡の詩を読み直し、改めてその魅力を痛感することになる。
「白石さんとはまったく違う魅力ですね。白石さんがジャズなら、富岡さんは歌謡曲。子どものころから歌舞伎や文楽などの古典芸能に親しんでこられたからか、詩の中に芝居っ気を感じることもあります。言葉でかっこよく見得を切ったりね。詩ってこんなに大胆に書いていいんだと勇気づけられました。恋愛詩も多いんですが、ふたりきりの世界に充足しているのではなくて、ふたりを取り巻く世間が背景にある。と同時に、『女性らしく』ではなく『自分らしく』生きようとする主体が常にいる。そういう描き方が新鮮でした。啖呵を切るような、きっぱりした口調で書かれているのも痛快だった。『物語の明くる日』という詩集なんて、たった一編の長い長い詩ですよ。一編で一冊。そんな大胆なこと、ようしはるわ」
平田が月報を頼まれたのはちょうど現代詩文庫を刊行する時期だったので、無理だろうと思いつつ、編集者を通して富岡に解説を頼んでみた。
受けた富岡は、平田の詩と戯曲に〈おもしろすぎて〉〈(言葉の)キレがよすぎる〉と言及し、アイルランドの思い出に触れ、「注文」という名の助言を書いている。
〈おもしろい詩やエッセイも、もちろんたくさん書いてもらいたいが、一方、好きな詩人の評伝を書かれたらどうだろう。評伝は、伝記的な部分で、人間への読みこみで小説的な楽しみがあり、作品批評をすることで、詩を「書く」のでなく「読む」楽しさを知ることができるからである〉(現代詩文庫『平田俊子詩集』1999年)
編集部にファクスで送られてきた富岡の手書き原稿のコピーが、今も平田の手元にある。
「力強いのに流れるようなきれいな字で惚れ惚れします。やはり手書きはいいですね。富岡さんの言葉のひとつひとつをありがたく受け止めました」