ライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります
人生の教訓のような詩を書く老人
夜になっても猛暑の日、スーパーでワンコイン(500円)のにぎり寿司が美味しそうなので、夕食に買うことにした。しかし、スーパーを出て後悔した。ちょうど帰宅時間で、駅前のバスの停留所は長蛇の列。道路が渋滞しているらしく、バスが時間通りに来ないようだ。バスが1台来ても満員で乗れそうにない。タクシー乗り場もタクシーが来ず、長蛇の列だ。
プラスチックのにぎり寿司の容器の上に、サービスのビニール袋に入った氷をのせて、エコバッグに入れていたが、生ものなので早く食べた方が良いと思った。
駅前のベンチに初めて座り、にぎり寿司を食べ始め、後悔した。スーパーにサービスで置いてある割りばしはもらったが、小さなビニール袋入りの醤油とワサビはもらってこず、淡泊な味のにぎり寿司を食べることになった。
真正面に駅の長い階段があり、大勢の人たちが下りて来るのが見えた。仕事で疲れているだろうが、働く人たちのエネルギーを感じ、迫力のある光景だ。私も会社に勤めていた時は、階段を下りる1人だったと思い、自分の老いを感じながら、しばらく階段を下りる人たちを眺めていた。
ふと、平成の始めの頃に、私が勤めていた会社の近くの地下通路に座り、詩を書いていた老人が、「修羅場を経験すると、人生は淡泊ではなく、深みが出る」と、私に言ったことを思い出した。幸せばかりの人生は、淡泊な味のにぎり寿司のようなものなのかと思った。