
一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!
一
「きみは前に、台湾の女学校に関心があるといっていたな?」
西日が差し込む雑誌『黒猫』(オーニャオ)の編集部で、百合川(ゆりかわ)の声が耳に届いた瞬間、ハルは悪い予感がした。別に霊能力がなくとも、この優しげな声には裏があることくらいわかる。
たすけを求めるように編集部のなかを見回すが、あいにくみんな自分の仕事で忙しそうだ。
「ええまあ、でもいまは別に……そうだ、あたし取材にいってきますね!」
ハルは机の上の鞄に手を伸ばす。これで、話は終わりだ。
ところが背中でまた百合川の声がした。
「女学生になってみるというのはどうだ? 市内のミッション系の私立女学校がね、今年は台湾人の女学生を多く入学させたときいて、気になっていたんだ。内地には、下山京子から北村兼子にいたるまで化け込み婦人記者の偉大な先人たちもいるだろう?」
ハルは、気づけば素っ頓狂な声を上げていた。
「だめです! そればかりは絶対無理です。あたしはもう二十三歳ですよ! 化け込み記者って、カフェーとか旅館とか、もっと大人の女性が働くところを覆面で取材するものでしょう? 女学校なんてきいたこともありません」
すぐ隣で玉蘭(ギョックラン)が笑いをこらえながら見守っている。
「それにそうだ! キリスト教の女学校なら罰があたりますよ。あたし純潔でもありませんから。ほら、編集長もあたしが銀座でどう呼ばれていたかご存じでしょう。『モダンガールのおハル』ですよ。札付きの不良娘じゃないですか。ね、この話はこれでおしまいです。あたし取材にいってきます!」
