(写真提供:飯田洋輔さん)
日本を代表するミュージカル俳優の一人、飯田洋輔。劇団四季において、メインキャストを務める看板俳優だったが、20年に及ぶ劇団員生活に終止符を打ったのは2023年末。その直後に帝国劇場の舞台で『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役に抜擢されたのは記憶に新しい。
この秋には、『オペラ座の怪人』ファントム役でも知られる世界的なミュージカルスター、ラミン・カリムルーや、映画『レ・ミゼラブル』で舞台から唯一エポニーヌ役に選ばれたサマンサ・バークスとのスペシャルコンサートでの共演も決まっている。
「ラミン・カリムルーは憧れの人!」という飯田洋輔に、このコンサートにかける思い、そして「舞台俳優 飯田洋輔」としての来し方行く末を聞いた。(構成:吉田明美)

前編よりつづく

昔から何でも好奇心を持つタイプ

僕は、福井県の武生市(現在の越前市)で生まれました。両親は大学の合唱団で出会って結ばれているので歌が大好き。祖父は日舞の名取だったし、祖母はお琴や三味線の師範。僕と三歳下の弟は、福井の田舎とはいえ、音楽が身近にある環境で育ちました。

音楽が好きだったので中学では吹奏楽部に所属して、担当はトロンボーン。部員が100人ほどいる活発な部活動で、全国大会一本手前まで進みました。中3のときには部長も務めました。

とはいえ、僕は子どものころから何でも好奇心を持つタイプで。中学3年の夏は人生のピークと言えるぐらい、いろいろなことをやりましたね(笑)。体育の授業で陸上部の顧問をしていた先生から「君、砲丸投げやらない?」と勧められ、頼まれると嫌とは言えなくて引き受けたら、夏の大会に出場することに。

また、小学生から柔道の道場に通っていて、黒帯の昇段試験に受かったこともあり、せっかくだからと中体連に出場したら、県大会にまで進めました。生徒会長もやっていましたし、さらに英語の弁論大会にも出ることになって。もちろん吹奏楽コンクールもあったので、顧問の先生から「飯田くん、悪いけどほかのことはやらないで、トロンボーンに専念して」と言われるほどでした。

そして英語の弁論大会でも結果を残せたことで、福井県の代表として全国大会に出ることになったので、母に付き添ってもらって東京に行きました。そのとき、銀座のヤマハで母に劇団四季のCDを買ってもらったんです。全国大会に行けたご褒美みたいなものですね。それを帰ってからすりきれるほど何度も何度も聴いていました。