41歳で脳梗塞を発症し、突然ことばを失ったフリーアナウンサー・沼尾ひろ子さん(左)と、失語症患者さんの支援に長年携わっている愛知学院大学・辰巳寛先生 (撮影:本社 奥西義和)
日本には、言葉が思うように出なくなる「失語症」とともに生きる方が、約50万人いるといわれています。
41歳で脳梗塞を発症し、突然ことばを失ったフリーアナウンサー・沼尾ひろ子さんも、その一人です。そんな彼女が認知症予防や発話トレーニングとして「音読体操」を考案し、さらに今回、誰でも気軽に楽しめるようにと、心を込めて作詞したのが楽曲『おんどくドクドク』です。
壮絶な闘病の日々と、奇跡的ともいえる回復の軌跡——その語りの背景には、まだ広く社会に知られていない失語症や認知症をはじめとする高次脳機能障害について、多くの人に理解を深めてほしいという彼女の強い願いが込められています。今回は、失語症患者さんの支援に長年携わっている愛知学院大学・辰巳寛先生に解説をいただきました。
(構成:岡宗真由子 撮影:本社 奥西義和)

瞼が自然に閉じてしまう…強烈な眠気

沼尾:私が脳梗塞になったのは2006年のことです。当時、生放送のレギュラー番組4本に加え、特番などもあってとても多忙だった頃です。

たまたま土日に休みが取れたので、久々に実家に顔を出そうと東京から宇都宮に向かう高速道路を運転中、突然強烈な眠気に襲われたのです。それと同時にハンドルを握る手に力が入らなくなり、首から下が鎧を着たように重くなりました。サービスエリアで30分ほど仮眠をとって症状は治まったものの、代わりに頭痛が始まりました。ようやく実家にたどり着いて、家にあった頭痛薬を飲みましたが治りませんでした。

翌日、再び運転して東京に戻り、月曜からいつもの1週間がスタートしました。でも、気がつくと肘を突いて手で頭を支えながら原稿を読んでいて、とても100%の力で「私にまかせて!」といえる状態はなかったのです。木曜の朝にたまらず頭痛外来を受診しました。ちゃんとした頭痛薬を処方してもらいたかったのです。

ところが、CT検査をすると「MRIを撮ってきてください」と、別の病院を指示されました。そちらの病院に行けば仕事に遅刻しかねない時間です。でも、私は行くことにしたのです。その選択が、今こうして回復できた最初の分岐点だったと思います。

医師から言われた言葉は「今日から1週間入院してくださいね」でした

「画像には異常は見られないけれど、訴えている内容や顔色からしてクモ膜下出血が考えられる」と言うのです。

真っ先に仕事のことが頭に浮かびました。でも、1週間なら急遽の夏休みという名目で休める。関係者にもドクターストップであれば納得してもらえると思いました。この時入院する選択をしたのが、第2の分岐点だったと思います。

辰巳:大きな脳梗塞が起こる前には、脳の血管が一時的に詰まり、数分~数十分で自然に元に戻る“小さな詰まり”が繰り返されることがあります。この段階では、呂律が回らない、手足のしびれ、ふらつき、頭痛などの症状が一時的に現れます。しかし詰まりが完全に解消されず血流の不安定な状態が続くと、最終的に血管が完全に閉塞し、大きな脳梗塞へと進展します。こうした前兆を見逃さず早期受診することがとても重要なことです。

沼尾:マネジャーが番組プロデューサーに経緯を話し、休みが決まったときにはホッとしました。

「あとは1週間待てば、また仕事に行ける」そう思っていました。ところが、入院5日目の深夜、これまでとは比較にならないほどの頭痛に襲われたのです。

朝、検温に来てくれた看護師さんに訴えた辺りから記憶は定かではありません。目覚めたら、ベッドのまわりに親族が勢ぞろいしていました。看護師さんが、「おなまえは?」と小さな子供に言うように尋ねたので、私はムッとしました。でも、どうしても苗字が思い出せなくて、ふとリストバンドに書かれていた自分の名前を見たんです。ところが、書いてある文字がわかりませんでした。母が「ひろ子って書いてあるよ」と教えてくれて、そうだっけ、と納得したことを覚えています。

辰巳:沼尾さんの当時の脳画像では、左半球に大きな脳梗塞巣が見られました。この部分には、「話す・聞く・読む・書く」といった言語機能をつかさどる「言語中枢」があります。そのため、意識はあるのに言葉が出ない、相手の話が理解しにくい、文字が読めない、書けないといった症状が現れました。これが「失語症」です。失語症は、脳の障害によって言葉を扱う機能が損なわれる状態で、声が出ないとか、舌や唇が麻痺して上手にお話ができないという問題ではありません。

沼尾:それから、何か聞きたくても言葉は出ないし、自分がどういう状態なのかもわからなくてイライラしっぱなし。カレンダーを見ると1週間が過ぎていて、「仕事に行かなきゃ」と焦るばかりでした。

一方、家族は「左側の脳に8センチ大の病巣があって、脳梗塞と脳出血を起こしていましたが、命は大丈夫。でも左側の脳は言語を司る器官なので、言葉に障害が残るかもしれない」と医師から言われたそうです。