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朝ドラ『ばけばけ』のモデルとなった明治時代の作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。アメリカでフリーの紀行文作家として活動していた40歳のハーンは、どうして日本を訪れることになったのでしょうか?当時の時代背景について『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』から一部を抜粋して紹介します。

紀行文作家の来日

一八九〇(明治二十三)年四月四日の早朝、ラフカディオ・ハーン(一八五〇―一九〇四)が横浜の港に降り立った。

まもなく四十歳にして独身、イギリス系アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれ、主にアメリカを活動の場にしてきた英国籍の男である。

後年日本に帰化して小泉八雲と名を変え、『怪談』などの再話物語や『知られぬ日本の面影』『心』『日本―解明の試み』など英語で書かれた日本紹介の書で世界に知られることになるが、この時はまだそれほど長く滞在する予定はなかった。

その彼がやがて日本に骨を埋めるに至るまでの関心の推移と心の軌跡をたどり、日本体験とはハーンにとって何だったのか、その結果いかなる世界観に到達したかを提示するのが本記事の目的である。