孤独感漂う小柄な中年男

挿絵画家C・D・ウェルドン描くハーン旅立ちの姿(『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』より)

ハーンが同行の挿絵画家C・D・ウェルドンとともにニューヨークを出発したのは三月八日だった。

まずカナダのモントリオールに赴き、そこから汽車「横浜号」で大陸を横断して十六日に太平洋岸のヴァンクーバーに到着、十八日に「アビシニア号」に乗船している。当時の最短ルート、一カ月弱の旅だった。

旅立つハーンの姿を描いたウェルドンのスケッチが残っている。皺のめだつ背広を無造作に着て、帽子を目深にかぶった、やや猫背の小柄な中年男。

荷物はやや古びた革の鞄がふたつ以外、何もない。だが右足を一歩踏み出したその後ろ姿には、一種の孤独感と共に決然とした意志が漂っている。

ハーンは晩年、東京帝国大学の名物教授として英文学を講じたが、明治期の多くのお雇い外国人と異なって、来日の際はいかなる組織にも属さず、肩書も身分的保証も後ろ楯もなかった。

彼は宣教師、外交官、技術者、学者のいずれでもなかった。頼れるのはペンと自分の感性だけという、フリーの紀行文作家が来日時のハーンの職業といえる。

『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(著:牧野陽子/中央公論新社)

日本に対して初めて興味を持ったのは、ニューオーリーンズで一八八四年十二月に開催された万国産業博覧会で日本の展示物を見たときだった。

当時新聞記者だったハーンは足繁く日本館に通って文部省派遣の役人服部一三(はっとりいちぞう) に熱心に質問したという。

そして六年後の日本行きを実現させたのは、アメリカの有名出版社ハーパー社とカナダ太平洋鉄道汽船会社である。

前者は日本での取材記事を文芸雑誌『ハーパーズ・マンスリー』に掲載する契約をし、後者はカナダ横断鉄道と太平洋航路の切符を提供した。