旅行記がブームに
十九世紀後半の欧米は、世界観光旅行者をさすglobe trottersなる新語が登場し、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』などがベストセラーとなるほど、旅行と旅行記に対する関心が非常に高まった時代である。
まず大型船舶の開発と鉄道網の整備が、比較的たやすく海外を旅することを可能にした。
一方、一八五一年のロンドン万博を皮切りに各地で開催された博覧会によって、それまでは王侯貴族の独占物だった珍しい非西洋の文物に一般大衆も接しうるようになり、見知らぬ国と風土への憧憬が駆り立てられた。
文学や音楽、美術の各分野でもエキゾチスム(異国趣味)が流行する。ところが一般人が長旅にでることはそうそうできるものではない。
そこで、読者の代わりに旅をし、臨場感あふれる言葉で旅と異国の情景を描写する通信記事や紀行文が新聞・雑誌に掲載され、広く読まれたのだった。
かくしてアメリカ東部の中流階級を読者とする『ハーパーズ・マンスリー』も、文学関係や時事的話題以外に毎号豊富な挿絵入りの海外見聞記に多くの頁をさいていた。
特に日本はアメリカにとって新興の隣国であり、東洋の中でも一般の関心が高い。
そして太平洋航路の宣伝のために国内線の汽車をわざわざ「横浜号」と命名する鉄道汽船会社の方は、ハーンとウェルドンの紀行文が新しい旅客の獲得につながることを期待したのだった。
※本稿は、『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(著:牧野陽子/中央公論新社)
他のお雇い外国人と異なり、帰るべき故郷を持たないラフカディオ・ハーン。
ハーンが神戸、東京と移り住むうちに、日本批判へ転ずることなく、次第に国家・民族意識を超越し、垣根のない文化の本質を目ざしてゆく様子を描く。




